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英語教育を根本から疑って生まれたオリジナルカリキュラム
私たちESL clubは、英語塾です。
子どもたちに英語教育を提供しています。
では、なぜ、英語教育を提供しているのでしょうか?
それはもちろん、子どもたちに英語ができるようになってほしいからです。
日本の英語教育をただ受けるだけでは、残念ながら、英語はできるようにはなりません。
文法偏重。精読偏重。正しく発音できない英単語をひたすら書くためのスペリングテスト。
結果身につくのは、洋書一冊も読み切れない中途半端な読解力と、片言のカタカナ発音しか口から出てこないスピーキング力と、ネイティブすら説明できない文法事項の解説力です。
私たちはこの英語教育それ自体を変えたいと考えています。
だから私たちは、根本から英語教育を見直しました。
「本当に、初学者はアルファベットから始める必要があるのか?」
「本当に、文法は必要なのか?」
「本当に、英文和訳は必要か?自分たちが日本語を理解するプロセスは、何かを訳しているわけではない。では、どうやって理解していくのが理想的か?」
徹底的に常識を疑いました。
「それは本当か?」
「この学習はなぜ必要なのか?目的はなんだ?」
慣習的な学習法も全て分解し、白紙に戻し、全てを構築し直しました。
信じるのは目の前の生徒だけです。
「実際に生徒の英語力が上がるのか?」
それだけを見てきました。
「もし上がらないなら、何かが間違っている。何かがおかしい。」
そうしてカリキュラムを修正しました。
「もし上がったのなら、なぜ上がったのか?これは、教室全体のオペレーションで実現可能か?汎用性はあるのか?」
こうして教室オペレーションを組み直しました。
結果、ABCから約2~3年で小学生で英検2級(高校卒業レベル)を達成できるカリキュラムができあがりました。
しかもこれは、従来の文法偏重で受かる英検2級合格とは意味が違います。
シャドーイングを基盤とした多読多聴中心の学習法で実現した英検2級のため、英語を英語のまま理解し、スムーズに発信することもできる英語力です。
つまり、ESL clubで英検2級に合格した生徒は、英語を英語のまま理解し、アウトプットができる英検2級合格なのです。
でも、これは、何も特別なことではないと考えています。アジア諸国の小学生は日本の何倍も英語を勉強しています。
中3になったら英検3級、高1で準2級、高校卒業までに2級、といった英検のレベル設定、日本の英語教育のレベル設定が低すぎるだけなのです
ESL clubのカリキュラムは、まだ完成されてない
さて、私たちの役割は、このカリキュラムの精度を上げていくことです。
正直にお伝えすると、まだまだ至らない部分が多いのも事実です。
ESL clubのカリキュラムは宿題達成率が英語力向上に大きく影響します。まだまだ、全ての生徒が前向きに宿題に取り組めるようなカリキュラム、そして教室オペレーションにはなっていません。宿題達成率は生徒によってばらつきます。
また、全ての生徒が絶対に伸びる完璧なカリキュラム、指導法といった正解は未だ見出せません。なぜなら生徒一人ひとり、学習の癖が異なるからです。その癖に合わせて、どこで躓いているのかを把握し、指導をしていく必要があるのが現状です。
もしかしたら、このカリキュラムに完成はないのかもしれません。
「もっと良いカリキュラム、もっと良い教室オペレーションがあるはずだ。」
それを追求し続けることが、良いサービスを提供し続けることだと思います。
「もうこのカリキュラムで大丈夫だ。この教室オペレーションで大丈夫だ。」
そう思った瞬間、いろいろと止まってしまうんだと思います。
だから私たちはカリキュラムの精度を上げていきます。
本題。何のための、「英語力」なのか?
さて、私たちは英語教育を提供しています。
今まで述べてきたように、実践的な英語が身につかない日本の英語教育を何とかするために、実際に使える実践的英語力を生徒に届けるために、英語教育を提供しています。
しかし、一方で、私たちはまた、次の自問をよくします。
「では、何のための英語力なのか?」
何のための英語力なのでしょうか?
小学生で英検2級。それがどうしたのでしょうか。
小学生で英語でディスカッションができる。それがどうしたのでしょうか。
もう聞き飽きるほど、よく言われる、“グローバル人材”を育てるためでしょうか?
では、グローバル人材とは、何なのでしょうか?何のために、グローバル人材になる必要があるのでしょうか?
海外進学をするため?スタンフォードやハーバードにいけば、世界の頂点にいけば、正解なのでしょうか?
これには、絶対的に正しい答えはないでしょう。あるのは、各英語塾それぞれの答えのみです。
では、私たちESL clubが考える答えとは何なのか?
それは、「自分の人生を生きるための英語力」です。
私たちが考える、「英語」の価値とは、生徒が自分の人生を生きるきっかけとなることです。
英語というツールを手にすると、多くの世界を知ることになります。
日本語だけでは得られなかった情報を得られるようになります。
日本で生活しているだけでは出会えない、日本以外の文化や価値観を持った異国の人々と深い議論ができます。
そうして気づくのは、「日本や自分の常識は、海外では常識でも何でもない」という事実です。それを体感できます。
頭で理解するのではなく、体感できるのです。常識が揺さぶられます。
絶対的な正解など存在しないことに気づきます。そして、生徒の見える世界は相対化されます。
きっと生徒は戸惑うでしょう。
お父さんやお母さんに言われたこと。学校の先生に言われたこと。日本の社会に言われたこと。
自分が今まで正解だと思っていたことが絶対的な正解ではないという事実に気づくからです。
では、正解はどこにあるのでしょうか?だれが正解を知っているのでしょうか?
残念ながら、外に正解を見出そうとしても見つかりません。
正解は、生徒一人ひとりの心の内にしかないのです。自分の正解は自分で見出し、自分で決めるしかないのです。
英語を学ぶ本当の価値は、ここにあると私たちは考えています。
つまり、多くの世界を知ることで、世界が相対化されることで、外から与えられる正解は絶対的な正解ではないことに気づくのです。
そして、そこから、自分の正解を見出す探求が始まります。自分だけの答え、自分だけの生き方、自分だけの人生。
私たちは、英語を通じて、生徒たちにその子だけの人生を提供したいのだと思います。誰の人生でもなく、その子自身の人生を生きていってほしいんだと思います。
そして、自分だけの正解を、意見を、ぜひ、自分らしく英語で表現してほしい。論理的に、建設的に、自分の気持ちを、考えを、意見を、表現してほしい。
「自分の考えは正しいのかな?」「自分の考えは間違ってないかな?」
そういった外からの評価軸にビクビクするのではなく、「自分は何を感じたのか?」「自分は何を思うのか?」といった自分だけの正解を大切にして、その感覚を、考えを、意見を、自信を持って表現してほしい。
そうすると、必ず反応が返ってきます。そこから自分の世界は動き始めるのです。自分を周りに表現して、知ってもらって、初めて世界は動き始めるのです。そのことを知ってほしい。
そして、自分の人生を生きるための行動をし続けてほしい。
これが、私たちの考える英語教育の目的です。自分の人生を生きるための英語です。
何のための英語なのか?何のための教育なのか?
私たちは、英語教育を全て分解し、白紙に戻し、生徒の英語力向上を中心に構築し直したように、教育の意味そのものも分解し、探求を続けています。
この探求は恐らく終わらないでしょう。
理想の教育が今なお、明らかになっていないように、実現されていないように。むしろ、理想とは永久に実現しないから理想なのです。ですが、私たちはその理想を追求し続けます。
「それは本当か?それはなぜか?」
私たちはあらゆることに疑問を持ち、分解し、再構築することで、理想の教育を追求し続けます。