受験の意義と輪読の価値
こんにちは、荻野です。
さて中学受験や大学受験合格に共通するものといえば、「地頭の良さ」であるとか「努力量」といったものがすぐに浮かぶかもしれませんが、実際のところ三つのファクターに明確に要素分解できます。
それは、「高速概念処理」、「暗記力」、「語学力」です。東大の二次試験で点数を稼げるのは英語と数学ですが、要すなわち抽象概念操作を短時間で高速で行えることと、語学能力です。残りの科目やセンター試験は、暗記能力に分類できます。
しかしながら、独自性ある問いを自ら立て、それを解くために必要な文献を渉猟する能力や、人生における重要な場面で意思決定を下す能力は、これらとはまるで別物であり、偏差値で測れるものではありません。わたしはこれらを「知性」と呼びますが、受験は知性とはそこまで相関するものではありません。
そもそも偏差値とは、学生運動の時代、学生に「身の丈」を分からせるために文科省が導入した指標です。
古典を輪読し精読する価値は、まさにここにあります。
つまり独自性ある関心を養い、それに必要な文献を自ら渉猟でき、異なるものと対話可能な教養基盤を涵養することにあります。
受験勉強では一問一答で暗記しただけの哲学書を一文ずつ読み解き、「生きた」教養にします。名前は知っているが、普段の仕事に忙殺されて読めなかった古典文学を、読む機会が得られます。とりわけ歴史的背景を基礎に置きながら、贅沢な解説つきで好きなペースで読み進めることができるのです。
こうした経験が、とりわけ10代のうちに必要であることは論を俟ちません。人格形成において重要な時期は10代であり、それは主に読書によって個人的精神空間を作り上げることによって養われるのだと、私は考えています。
ぜひ家族とともに、私の輪読ゼミに参加しませんか?
- この記事を書いた人
- 荻野 智明
駒場東邦中に進学。トップ学生だったが、物理と化学に嫌気がさし、医師である両親と同じ職に就くことにも嫌気がさしたため、私大医学部を蹴って東大に後期で入学。
人間に関わる人文系への興味が根本にあったため、哲学と法学を学ぶ。好きに学問を追求し、中国の占いを2年間独学し、今に至る。
・2006年 駒場東邦入学
・2012年 東京大学文科一類入学
・2018年 国家総合職経済区分合格
・2019年 東京大学法学部卒業